昔の東京、パリ、ニューヨーク



1913年 - 1915年頃の東京の様子(音声あり、カラー)



1868年(慶応4年・明治元年)7月17日に「江戸ハ東国一ノ大鎮四方輻湊ノ地、宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ。 ... という詔勅により、「江戸」が改称され「東京府」となった。 これには、京都に対する「東の京」という意味という解釈と、「京」を「都」の意味に解して「東の京」という解釈がある。


1878年(明治11年)郡区町村編制法に基づき、東京府管下の中心部市街地に麹町区以下の15区が、同年11月2日に編成された。市街地に隣接する区域は荏原郡・東多摩郡・南豊島郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の6郡に編成される。(このうち、東多摩郡と南豊島郡は1896年(明治29年)4月に合併されて豊多摩郡になる。)また、同年1月11日より、伊豆諸島が東京府の管轄になる。1889年(明治22年)5月1日に市制特例による特別市制により東京市が発足し、1899年(明治32年)10月1日には、市制特例を廃止し、東京市は一般市制による一般市となった。1893年(明治26年)4月1日、神奈川県に属していた三多摩を東京府に編入した。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日には、東京市と東京府は廃止され、東京都が設置された。



1896年 - 1900年頃のパリの様子(音声あり、カラー)



現在のパリの場所には紀元前4世紀から人が居住していた。紀元前250年頃にケルト系部族のパリシイ族(Parisii) が集落を形成し、セーヌ川の河畔に漁村が作られていたとされる。パリは繁栄し、河川の航行や交易上の拠点として戦略的な位置を占めた。この地域では、紀元前52年、ウェルキンゲトリクスがケルト人を率い、カエサルのもとのローマ帝国に対し反乱を起こすが鎮圧され、ローマ人の支配下に入る。紀元前1世紀末、パリのシテ島とセーヌ川左岸のサント・ジュヌヴィエーヴの丘は、ルテティアと呼ばれた新しいローマ人集落の中心となり、ルテティアは212年、この地方の先住民パリシイ族(Parisii) の名称をとってパリに改称された。




1911年のニューヨークの様子(音声なし、カラー)


1911年のニューヨークの様子(音声あり、モノクロ)



1524年、フランス国王の命を受けたイタリアの探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノが、この地域に到達し、ヌーヴェル・アングレーム (Nouvelle Angoulême) と呼んだ。当時、約5000人のレナペ族インディアンが住んでいた。

ヨーロッパ人の入植は、オランダ人が1614年にマンハッタンの南端に毛皮貿易のために建てた植民地が始まり、後に「ニューアムステルダム」と呼ばれるようになった。オランダ植民地の総裁ピーター・ミヌイットが、1626年、レナペ族(デラウェア族)からマンハッタン島を60ギルダー(2006年現在の換算で1000ドル程度)分の物品と交換した。マンハッタンの代価は24ドル相当のガラスのビーズであったという伝説もある。1664年、イギリス人が町を占領し、イングランド王ジェームズ2世(ヨーク・アルバニー公)の名を取って、ニューヨークと名付けられる。

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